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東京家庭裁判所 昭和44年(家)7244号 審判 1969年7月22日

申立人 国原弘子(仮名)

主文

申立人の氏「国原」を「伊東」に変更することを許可する。

理由

一、申立人は、主文と同旨の審判を求め、その理由として述べるところの要旨は、

1  申立人は、昭和九年九月二一日申立外伊東寿雄と婚姻したが、昭和四二年七月七日同人と協議離婚し、婚姻前の氏「国原」に復した。

2  しかし、申立人は昭和二一年頃株式会社伊東書店を設立し、代表取締役となり、以来二十余年主として○○図書の出版に当り、この事業は着実に発展している。

3  かような訳で、申立人が復氏後の「国原」の氏のままでいることは、右の営業上信用上重大な支障を来し、社会生活上極めて不便不利であるので、この「国原」の氏を「伊東」に変更することの許可を求める。

というにある。

二、本件記録添付の各戸籍謄本、商業登記簿(株式会社登記簿)謄本、伊東寿雄作成の承諾書、および申立人に対する審問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  申立人は、昭和五年頃本籍栃木県塩谷郡○○○町大字○○○△△△△番地申立外伊東寿雄と事実上の婚姻をなし、昭和九年九月二一日正式に婚姻届出を了したこと

2  右伊東寿雄は、出版業を営んでいたが、昭和一九年頃から岩山高子と婚姻外関係を生じ、同女との間に二女を儲けたので、申立人は昭和二〇年頃伊東寿雄と別居し、昭和二一年頃自ら東京都○○区○町○番地○に主として○○図書の出版販売を目的とする伊東書店を設立し、昭和二三年一〇月一一日営業形態を従前の個人営業から株式会社組織に変更し、自らその代表取締役となり、今日に至つていること

3  申立人は、右の如く伊東寿雄と長年別居生活を続けていたが、伊東寿雄と前記岩山高子との間の二児が、婚姻適齢に達した事情を考慮し、伊東寿雄からの離婚申出に応じ、昭和四二年七月七日同人と協議離婚したため、婚姻前の氏「国原」に復し、同年同月同日東京都○○区○○○町○番地○○に新戸籍を編製したこと

4  申立人は、離婚後も前記株式会社伊東書店の代表取締役として、従前どおり、その経営にあたり、営業上の取引関係、預金関係、納税電話加入等すべての営業上その他の社会生活において、「株式会社伊東書店代表取締役伊東弘子」または「伊東弘子」という呼称を使用していること

5  右伊東寿雄も、申立人が離婚後、引続き伊東の氏を使用することを承認していること

三、以上認定の事実によれば、申立人は伊東寿雄と婚姻以来長く伊東姓で社会生活を続け、また昭和二一年以来伊東書店の経営者として伊東弘子名義で営業を継続し、経済的活動を含むあらゆる社会生活の面において伊東弘子の呼称を使用してきたもので、その伊東の呼称は永年にわたる経済的活動を含む社会生活に伴なつて広く深く滲透しているものと認められ、申立人に対し正式には伊東の氏の使用を許さず、離婚後復氏した国原の氏を使用することを強いるのは、申立人に経済的活動を含む社会生活の面において甚だしい不便不利益を与えることになることは明らかであり、このことと前記離婚の責任が伊東寿雄にあつたものと認められること、および同人が前記認定の如く、離婚後も申立人が引続き伊東の氏を使用することを承認していることを合せ考えれば、本件においては氏を変更する「やむをえない事由」があると認めるのが相当である。

よつて申立人の氏「国原」を「伊東」に変更することを許可することとし、主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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